言語によって感性や考え方は変わる

こんにちは、かおるです!
普段はドイツ語を話している日常ですが、言葉そのものの話がしたい今日この頃。

日本語にあって、他の言葉にない言葉。

日本文化のイベントでジェレミーというアメリカ人と知り合い、仲良くなりました。
彼は、大阪で9ヶ月英語の先生をやっていたので、その間に日本語を習得して結構喋れます。
彼は普段の生活では英語をメインに話しているのですが、「日本語を話した後は感覚が繊細になるんだ」というようなことを言っていました。

おー、なるほど。
確かに日本語から直訳できない言葉ってあるよなと。

例えば、「お疲れさまでした」
僕は説明するときに、「”Good work!”に近いよ」と言っているのですが、微妙にニュアンスが違いますよね。
会社の社長は日本で数ヶ月働いていたのでこれが通じるのですが、他の社員に説明してもニュアンスまでは伝えられない。

あと、「やりがい」
「仕事のやりがい」とか、英語やドイツ語でどう訳していいのか全くわからない。
この言葉には、満足感、達成感、人から感謝される喜び、承認欲求、充実感...etc
一言では表せないたくさんの情報が詰まった一言だと思う。(いわゆる「ハイコンテクスト」)

ジェレミーは実際に日本に住んで生活の中で日本語に触れたからこそこういう日本語的な感情も含めて丸ごと自分の中に取り込んだのかな。

英語やドイツ語で考えると論理的になる?

僕は逆に「英語やドイツ語で考えると、感情と事実がハッキリ分かれて論理的に考えやすくなる」と思っていて、
それを言ったらジェレミーにとって新鮮だったらしく、目を見開いて“interesting!!“と言っていました。

感情と事実を分けやすい理由は2つあると思っています。
①主語・目的語などがしっかり分かれている。
②1単語に含まれる意味が割とはっきりしている。(ローコンテクスト)

先ほどの例で「やりがい」をドイツ語に無理やり訳すと、文脈にもよりますが、それに近いものは。
・“Ich habe Leidenschaft für~“ (〜に情熱がある)
・“es lohnt sich“ (それはやる価値があるね)
・”Ich bin stolz auf ~” (私は〜に誇りを持っている)
こんな感じになると思うのです。

あと、ドイツ語・英語は自問自答するのに結構向いている言語だと思っています。
例えば、ダンスのクラスで「自分の活動・練習の年間計画を立てる」という課題が出たときに、高校生くらいの子が自ら問いを立ててそれをプレゼンしていたのが印象的でした。
"Was ist mein Ziel?" (私の目標は?)
"Wo bin ich gerade?" (目標に対して進捗は?)
"Was soll ich jetzt machen?" (これから私は何をすべきか)

著名な哲学者にドイツ人が多いのはなんか関係があるのだろうか。

以上、ざっくり最近考えている言葉の話でした。