【自己紹介】Kaoruはこんなやつです。

 

Hallo, Leute!!

はじめまして!Kaoruです。

大分生まれ、東京育ちのかくれ九州男児です。

好きなものは、ダンスと旅とゲストハウス。

 

1992年~:幼少期から中学生まで

・多様性のある日常

幼いころ韓国、シンガポール、ロシア、カナダ、インド、香港などからいろんな国の人が家に遊びに来る環境で育ってきた。一緒に遊んでもらって、仲良くなって、そのころからいろんな国に興味があり、世界地図見たり国旗見たりとかも好きだったなあ。小学6年生の時、国際交流プログラムで韓国に2週間行ったりしました。

・将棋にハマる。

初めて教えてもらったのは大分のおじいちゃんだったけど、ボロボロに負かされていた。負けた瞬間くやしさのあまり盤をひっくり返したら怒られました笑

それでも将棋面白い、もっとやりたいと思って小学2年生くらいから地元の住区センターでおっちゃんたちと毎週将棋指していた。おっちゃんたちも強いから負かされるんだけど、いつの間にかのめりこんでいて、金曜日は必ず通ってました。気が付いたら本棚の半分くらい将棋の本で、友達がみんなマンガ読んでる中、「定石・○○戦法」みたいな本を読んで研究してる一風変わった少年でした。笑

卒業文集将来の夢は、「プロ棋士になって将棋を世界に広める」って書くくらい将棋オタクだった。

・アメリカ1か月

中学に入って、ホームステイプログラムで夏休み1か月アメリカに行った。習った英語もほぼ皆無の状態で行ったけど、家族とも友達とも仲良くなって、めちゃめちゃ楽しんで帰ってきた。英語がほとんど喋れない自分を助けてくれたのは先輩のあるアドバイス「芸は身を助ける」的な話だったのですが、何がウけるか分からないので、ありったけのできるものを持っていった。40人くらい集まる親戚の集まりで、完全に一人ホームシックになりかけていたところ、身体の柔軟性をいかしたヨガのポーズと、縄跳び(はやぶさとか)やったら "He is crazy!"(いい意味で)言われて、捨て身の一発芸で完全に親戚の輪に溶け込むことができた。意外とことばが話せなくても何とかできることを学んだ1か月だった。

・将棋に飽きて陸上部に

小学生の時はアホみたいにのめりこんでいた将棋も、相対的に面白いものにも触れたし、さすがにプロになるほど強くないし、なっても一生将棋盤を前にするのはちょっと無理だな~と思うようになった。将棋への熱も急速に冷めてしまった。「思い切り身体動かしたいなー!」と思って、陸上部に入った。結局引退まで2年半続けたけど、せっかく入った部活もぶっちゃけそんなに楽しくはなかった。記録が伸びた時は嬉しかったけど、練習自体はマジできつかったし途中から顧問が変わって、ゴリゴリの部活になったのも自分には合わなかった。でもおかげでかなり体力はついたので後悔はしていない。

・1000人の生徒会長に

陸上部と並行してやっていた生徒会の会長になった。一応、やりたくてやったことだった。めっちゃ無駄だなーと思っていた校則(校帽の着用、マフラー着用禁止)を変えたいなと思ったのと、毎年惰性でやってるようなボランティア活動をもっと面白くできるやろと思っていた。1000人のトップに立てるチャンスと思ってたところももちろんありました笑 

ただ、半端ないストレスだったのが、全校朝礼のスピーチ。1か月に1回くらいのペースであったけど、1000人の目の前で話すことがプレッシャーで仕方なかった。その割には「自分の言葉で話したい」というこだわりがあって、話す内容を覚えて毎回何も見ずに話していた。しかし、そのころは人の目線も気になる年頃で、「今日〇回噛んだねw」ていうクラスメイトの冗談にもいちいち落ち込んでいた。

客観的に見たらものすごく頑張ってる中学生だったが、自己肯定感は低くいつも自信がなかった。それに「みんなの模範にならなきゃ」みたいな変な足かせを自分自身に作っていたからか、なかなか自分を素直に出すことができなかった。

 

2008~2012年:都立国際高校

地元の中学とは打って変わってめちゃめちゃ自由な高校でした。生徒は帰国子女や在京の外国人もいて、多種多様なバックグラウンドを持っている。1人1人個性が強いし、我が強い人も多くて、良くぶつかるんだけどお互いへのリスペクトはある。いろいろあったけど、ほんとーに楽しかった。

・ダンスに出会う

全く縁のなかったダンス部に入った。運動部に入ろうと思ってたけど、友達に誘われてノリでダンス部に行ったら、「ダンスたのしいやんけええええ!」ってなった。部活の雰囲気も良かったし、今思うと人前でパフォーマンスするってことにチャレンジしたかったんだと思う。最初はめっちゃへたくそだったけど、部活以外にもダンススクールに通ったりして、結構ハマる。

・スピーチコンテスト

 学校行事で外国語のスピーチコンテストがあった。僕はこの行事結構好きで、毎年出場していた。

1年目 韓国語  :「僕は犬を食べた」

2年目 ドイツ語 :「ドイツ語早口言葉」

3年目 英語   :「理想の教育について」

テーマも言葉も自由。やりたいこと、言いたいことを自由に表現できるのがすごく嬉しかった。ダンス始めて「オーディエンスに伝える」ってことが楽しくなってきたのも、スピーチで自分の体験や意見を臆せずに言えるようになったきっかけ。

・ドイツ留学

1年生の時、約1年間ドイツに留学した。行き先を英語圏じゃなくてあえてドイツにしたのは理由が3つあって、

1) 英語はいつでも勉強できるし、せっかくだから英語以外の言葉を習得したかった。

2) その時は環境問題に興味があって、その分野に進んでるドイツに行ってみたいと思った。

3) 合理的な考え方をするとことか「もしかして自分にあってるんでね?」と思った。

 

実際に行ってみて、すごくドイツが好きになった。語ると長くなるけど、印象に残っている言葉が2つある。

"Chillin"と"Selbstwebusstsein"という言葉。

"Chillin"は英語でいうChillみたいなもので、「のんびり日向ぼっこでもして過ごそうぜ~」みたいなニュアンス。何気な~く会話の中で使われる言葉だけど妙に印象的だった。日本にいたときは、高校生のくせに忙しいリズムで生活していたから、「もっとゆったりする時間が必要だよな」ってしみじみ思った。忙しすぎて、人間として大事なことを見失わないようにしたいって思った。

"Selbstbewusstsein"は日本語に訳すと「自信」になるのだろうけど、Selbst=私自身、Bewusst=知るという意味があって。「え、自信って自分自身を知ることだったのか!」って気づけて衝撃が走った。それまでは、例えば陸上のタイムが上がることや基準を超えることでつくものというイメージだった「自信」の正体がちょっとわかった気がした。

でも、高校生の時はその2つが自分にとってそんなに大事な言葉だったことに気づいてなかったから、帰国してからしばらく忘れちゃって、やっと最近思い出すことができた。

 

2012~2016:立教大学国際経営学

・電話帳みたいな分厚さの教科書を読み込む授業で英語力も鍛えられる

将来は「海外に行って働きたい」と思っていた。でも、外国語を学ぶのではなくて、外国語を使って勉強できる学部に行きたかった。そのほうが、英語力も付きながら専門性が身について一石二鳥じゃんって思っていた。そこで、英語でビジネスの勉強ができる学科を選んで入ったのだけど、授業の課題がかなり大変で、すごく鍛えられた。2年の時の授業なんて、電話帳並みの分厚さがある教科書を使って勉強していたし。

ただ、「留学にもう一度行っておけばよかったな」というのは思う。高校の時に行ったし、特にたいそうな目的もないしと思っていたけど、やっぱ行っとけばよかったなあと思う。

・とある授業で感じたこと。

 海外から日本に来た留学生と同じ授業を受けたけど、グループになって何かするときに、自分の意見を言うか言わないかは日本と海外でかなり違う印象を受けた。もちろん、人による差はあるんだけど、どのテーマについて話し合うか決めるだけでもスタンスの差が如実に表れる。留学生”Why don't we discuss No.3 because~" と、ちゃんと意見とその理由を言うのに対し、僕を含めた日本人はその場の流れや空気に身を任せがちなところがあるなと感じた。

頭の良さとか、英語力の差ではなくて、単純にスタンスの差。こういうグループで話し合うときは、自分の意見を述べるのが「当たり前」という環境で彼らは教育を受けてきた。「だから日本の教育はダメだ」とかは言いたくないけれど、流された結果「あの時言っておけばよかった」という後悔をしないように「自分の言葉」で意見を伝えられるようになりたいと思った。

・一人旅でゲストハウスに出会う。

学生時代の最後に九州を一人旅した。その時に初めて「ゲストハウス」というものに泊まった。安くて、しかも宿泊客との交流もできる「一石二鳥じゃん」と思って利用したけど、僕にとってこの空間がめちゃめちゃ居心地がよかった。旅行やバックパッカーで日本に来た人たちと喋って話を聞いたり、屋台や小料理屋に一緒に行って地元の人たちと飲みながら交流したり、旅仲間ができて一緒に観光したり。とにかく雑多なんだけど自由なこの空間が好きになった。

 

2016~2017:日系の企業で1年勤務。

本音を言うと就活時に考えていたことって大企業に入って肩書と安定した収入を確保すること前提で選んでいた。その中で環境関連事業、ドイツの会社買収など、自分の希望に合うかなと思った会社を選んだ。海外営業でヨーロッパに行けたらいいなと思っていた。あとは、面接官や自分があった数人のOBがいい感じの人だったから選んだ。ほんと、今思うと視野が狭いしイケてない甘い考えのまま選んだなあと思う。

化学薬品を売る法人営業の部署に配属。入ってみると想像以上の体育会系企業で、中学時代を彷彿させる雰囲気だった。特別とんでもないブラック企業だったわけではないのだが、「自分がなりたい未来はこの環境にはないな」という違和感と「自分自身を出せない」抑圧されたような息苦しさを感じる。あと、自分が苦手な現場作業が多く、それがめちゃめちゃ負担だった。

早くこの環境から逃げ出したくて、とにかく会社以外の外の世界と繋がろうとした。ユース世代(18~30歳)が集まる合宿に参加したり、多言語のプレゼンテーション大会に出場したり。プレゼンの大会は仕事より全然面白くてのめりこんだ末、銀賞を受賞。

自分はやっぱり異文化との交流に興味があって、多様性のある環境にいるときにイキイキするんだなって改めて思った。そういう環境にいると、自然体の自分でも評価もされるし心底居心地がいいなって思う。

あと、ゲストハウスに行ってバックパッカーと話してみたりした。楽しそうに旅の話をしている彼らのイキイキした姿を見たら「俺もまた海外に行きたいわ」と思った。仕事は、「マジしんどい、辞めたい」と思いながら約1年間勤めるが、やりたいことをやらないで後で後悔することが一番のリスクや!と思い、「これからは自分がやりたいようにできる道を選ぼう」。

高校の頃に留学したドイツにもう一度行って生活したいという思いがあり、ワーキングホリデーに行きたい!と強く思う。現在渡航に向けて準備中です。

 

以上が現在までの生い立ちです。

ここまで読んでくれてありがとう!

Thank you so much for reading. 

Vielen Dank!

To be continue..