どこの国の人でも、変わらないものはあるんだな
こんにちは、かおるです。
前回は、言葉によって考え方や感覚が変わるという「違い」の話をしましたが、今回は共通点の話をします。
今回ドイツで働いたり踊ったり生活したり、様々な経験を通して感じている事があります。
「人間ってどこの環境で育っても心の動きは同じなんだ」
やったことない事は誰だって怖い
ダンスをやっていると、「初めて人前で舞台に立って踊る時」「初めてフリースタイル(即興)で踊る時」「自分より明らかに上手な人と一緒に踊る時」みたいな瞬間が訪れます。僕はどれも心臓バクバクでした。でも、これはどこの国のダンサーでもそうみたいですね。だから、誰かのそんな瞬間に立ち会えたらみんな共感して盛大な拍手を送ります。
これは例えの一つだけど、人間みんな新しいチャレンジするときは勇気を振り絞ってるんだってすごく実感します。
安定を取るか、好きなことを貫くか。
「私の親の価値観は『安定』が第一優先で、私がやりたい事を止めてくるのがほんと嫌」
あ、これホテルで働いてる時にたまたま若いお客さんが話していた事です。子供が親に対して思う愚痴みたいな感じでしたね。
ドイツ語だったし、多分ドイツ人なんだけど、なんかどこにでもありそうなデジャブ感のある会話でした。
子供が食いっぱぐれないように心配する親と、自分がやりたい事を好きにやりたい子供の心。これも人間皆同じですね。
特に、資本主義社会の仕組みの中で生きてると、お金の事ってどこにいたって向き合わなくてはいけない。
異国の地にいても、こういう話を聴くと自分の親の気持ちも想像させられます。
誰だって、気遣ってくれたら嬉しい。
ホテルで働いてた時、研修とかなしでいきなり現場にぶち込まれ、ましてや言葉も完璧じゃないし、ぶっちゃけ最初かなりしんどかったんですが、なるべく困った時周りに助けてもらえるように周りを気遣うように心がけてました。生き延びるために。笑
例えばグラス割っちゃった人の片付けを手伝ったり、上司の手が空くように仕事を変わったりしたら喜ばれるし、Danke!って感謝もされるんですよね。
逆に、スペイン語しか話せないお客さんの対応に困ってたらコロンビア育ちの同僚が助けてくれたりもしました。
でもそうやってサポートし合えた人にはまた助けを求めやすいし、前より距離が近くなって話しやすい。
「同じだなあ」って思った経験僕にもまだまだあるし、読んでくれるみんなにも多分あると思います。
この記事全てにおいて、当たり前のことしか言ってないんですが、今回のドイツはそんな当たり前のことを再認識するような機会になってます。